東京地方裁判所 昭和23年(行)51号 判決 1949年1月18日
主文
原告が日本人の養子となつたことに因り日本の国籍を有することを確認する。
原告その余の請求を棄却する。
訴訟費用は各自の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は「原告の有する日本の国籍は日本人の養子となつたことに因るもので国籍回復の許可に因るものでないことを確認する」との判決を求めその請求の原因として原告は明治四十三年三月二十四日亜米利加合衆国に於て出生し同国の国籍を取得した日本人で同国に住所を有していたが、昭和五年四月自己の志望により日本の国籍を離脱した(国籍法第二十條の二第二項、大正十三年十一月十七日勅令第六二号及国籍法施行規則第三條参照)。而してその後日本に住所を有するに至り昭和十七年七月三十日内務大臣に申請して同年九月二十一日日本国籍回復の許可を受け横浜市中区扇町一丁目二十二番地に一家創立の旨戸籍簿に記載せられ、次で同年十月五日本籍広島縣福山市草戸町千五百三十番地高田スミの養子となつたのであるが、右国籍回復の許可の申請を為すに至つた事情は次の通りである。即ち原告は渡日以来米国市民として、横浜市伊勢佐木警察署に登録してあつたが、昭和十六年十二月八日太平洋戦爭勃発するや同月十日同署の特高課長とその部下六名により突如家宅捜索を受け翌日は同署に呼出され出頭したところ何の取調もなくその儘留置場に拘留せられ、その拘留は爾来約二ケ月間継続し何等の根拠もなきに「「スパイ」をしていたろう」とか原告所持のラヂオ受信機では短波放送は全く聴取できないのに聴取したに相違ないとて之を押収され又若し日本の国籍回復せねば何時釈放されるか分らぬとも云われ外部との連絡は全く絶たれ留置場の不潔と取扱の残酷は形容し難く、斯くて原告は心身の苦痛に堪えず恐怖と不衛生の継続で生命身体も非常な危険にさらされていることを痛感し、己むなく国籍回復の申請をすることを約したので漸く釈放されたが、若し約の如く申請をしなければ再び拘留せられ一層の憂目に逢うべきことを恐れ恐怖の余り前記申請に及んだのであるから、その申請は自由意思に因るものでなく当然無効と解すべきである。仮りに当然無効でないとしても強迫に因る意思表示が私法上の意思表示ならば民法第九十六條第一項に依り之を取消し得るに拘らず公法上の意思表示なるの故を以て之を取消すこともできず、申請者に何等の保護もないと云うが如きは明に法の精神に反するものであるから、少くとも右の規定を類推して之を取消し得るものと解し、国籍に関し内務大臣の権限を承継した法務総裁の代表する国に対し本件訴状の送達により昭和二十三年七月三十一日右申請取消の意思表示をした。されば孰れの点から観ても右申請は無効であり従つて右国籍回復は無効であつて原告の有する日本の国籍は前記縁組に因るもので国籍回復の許可に因るものでない。而して米国の法律に依れば米国人が自己の志望により外国籍を取得すれば米国籍を失うが、外国人の養子となつても米国籍を失うものでないから、原告は請求の趣旨記載の如き判決を受けることにより米国籍をも認められると云う利益があるから、本訴請求に及んだと述べ、法律点に関する被告の主張に対し(一)原告の本件訴旨は原告の有する日本の国籍が日本人の養子となつたことに因るもので国籍回復の許可に因るものでないことを確認する判決を求めるのであつて、その国籍が国籍回復の許可に因るものでないと云う観念はその国籍が右養子縁組に因るものであると云う観念の不可離の属性であつて、後者は前者を離れては絶対に存在し得ないものであるから如上の確認判決と單に原告の有する日本の国籍は日本人の養子となつたことに因るものであることを確認すると云う判決と実質上毫も異なることなく、唯だ前者は後者よりもその観念を一層平明に表裏両面から表現しているに過ぎないのである。故に本訴は決して被告主張の如く積極的確認の訴と消極的確認の訴とを同時に提起したものでなく又原告が嘗て日本人の養子となることに因て日本の国籍を取得したと云う過去の事実乃至過去の日本国籍たる法律関係の確認を求めるものでなく、原告の現在有する日本国籍は如何なるものであるか、それは縁組に因る日本国籍で国籍回復に因る日本国籍でないと云う現在の法律関係の確認を求めるものであつて、その確認の結果米国籍をも認められるという利益があるのであるから権利保護の利益を欠くものでない。(二)国籍回復の申請が国籍法第二十六條所定の要件を具備するに限りその回復は必ず許可されるのが普通であり、他面国籍離脱の自由は新憲法第二十三條第二項も之を認めた所である点に鑑みれば、国籍回復の許可が具体的の場合にその有効か否かにつき最も重大な利害を持つ者は許可を受けた本人であつて、それにつき国又は公共の利害に関係を及ぼすことは極めて少いと謂わねばならぬ。されば国籍回復の申請については若しそれが瑕疵ある意思表示に基くものならば之を取消し得るとの論拠は他の一般行政処分の申請の場合に比して一層強いものがあり、殊に国民の自由については公共の福祉に反しない限り最大の尊重を必要とすることを明にされた新憲法下に於ては尚更である。(三)高田スミが原告を養子とするに付て当時内務大臣の許可を得なかつたことは相違ないが、その許可を得ないことは縁組無効の原因とならないことは当時の民法第八百五十一條の規定上明白であつて、原告の現に有する日本の国籍は右有効な縁組に因り取得したものであると附陳した。
被告指定代理人は原告の請求を棄却するとの判決を求め、答弁として原告主張事実中原告がその主張のような事情で自由意思に基かないで或は強迫によつて国籍回復の許可申請をしたとの点は之を否認するが、その余の事実は凡て之を認める。
原告主張の国籍回復の許可は有効であり、原告は之に因り日本の国籍を取得したのである。しかし原告の本訴請求は次に述べる理由にもより棄却さるべきである。即ち(一)原告は現在「日本の国籍を有するか」について確認を求めることが出来るのみであつて、その国籍取得の理由である「日本人の養子となつたことによるものであつて国籍回復の許可によるものでないこと」について確認を求めることはできない。而して原告が現在日本の国籍を持つていることは被告は別に爭つていないし將来も爭うつもりはない。故に本訴は即時確定の利益を有しない。仮りに国籍取得の理由について確認の訴を提起できるとしても原告の日本の国籍は「日本人の養子となつたことによるものである」という積極的確認の訴のみで足り「国籍回復の許可によるものでない」という消極的確認の訴を同時に提起する法律上の利益も又必要もない。尚原告は本件訴旨を恰も原告の現在有する日本国籍に関する確認の訴である如く装つているが、その旨の意味は「原告が日本人の養子となつたことによつて日本国籍を取得したこと、国籍回復の許可により取得したものでないことの確認」を求めるものと解するの外はないから、かかる過去の法律関係に関する確認の訴は許されない。之を要するに原告の本訴請求は権利保護の利益を欠くものである。(二)公法上の意思表示でも表示意思の欠けている場合、例えば強度の強迫等により全然その自由意思を抑圧してなされたものは当然無効であるが、意思の自由を全然失つたものでない場合にはたとえ意思の決定に瑕疵があつたとしてもそれだけの理由で当然無効とはならないし、私法上の意思表示に関する民法第九十六條を準用して取消すことは許されない。
(三)仮りに百歩を譲つて原告の国籍回復の許可申請が無効であり或は適法に取消されたとすれば、原告は昭和十七年九月二十一日以後に於ても日本の国籍を回復せず、依然アメリカ合衆国の国籍を有するものであるから同年十月五日高田スミが原告を養子とするについては内務大臣の許可を要するのに高田スミは此の許可を得ていないから同人との間の養子縁組は無効であり、この無効な養子縁組により原告は日本国籍を取得することはできないと述べた。(立証省略)
理由
本訴は要するに原告は嘗て日本の国籍を離脱した日系亜米利加合衆国人で、内務大臣に申請して国籍回復の許可を得て日本人として離籍し、その後日本人の養子となり現在日本の国籍を有する者であるが、右回復の許可は無効であつて原告の有する日本の国籍は右縁組に因るもので国籍回復の許可に因るものでないことを理由として「原告の有する日本の国籍は日本人の養子となつたことに因るもので国籍回復の許可に因るものでないことを確認する」との判決を求めているのである。
第一、仍て先ず原告の本訴請求が権利保護の利益を欠くものであるかどうかを審究する。
一般に確認訴訟は権利又は法律関係の不明確より生ずる危険不利益を除去するがため認むべきであつて、過去の権利又は法律関係は直接この危険又は不利益を生ずることがないから、かかる法律関係そのもの若しくは單純なる事実の如きは確認訴訟の目的物たるを得ず、唯だ過去の関係より延いて現在又は將来に不利益を生ずることがあれば、この現在の関係につき確認を求むれば足りるとせられている。本訴において原告がその請求の趣旨として掲げる所はその立言の形式極めて微妙であるが、少くともその中「原告の有する日本の国籍は日本人の養子となつたことに因るものである」との訴旨は要するに原告が現在日本の国籍を有すること即ち現在の公法上の権利関係の確認を求めるにあり、唯だ現在有する日本国籍の取得が日本人の養子となつたことに因る場合とその他の場合殊に国籍回復の許可に因る場合とによつて、米国籍をも認められるや否やの利害関係があるから(米国籍法第四〇一條参照)その取得原因を特定して因て以て原告の現在有する国籍の何たるやを明確ならしめるため、その確認を求めているものと解すべく單に過去における国籍取得の事由乃至法律関係の確認を求めているものと解すべきでない。而して被告が究極において原告が現在日本の国籍を有することを爭わないにしても、それは日本人の養子となつたことに因るものでなく国籍回復の許可に因るものであると主張してその取得原因を爭い、延いて前記のような利害関係(なお、この外我が国籍法上国籍取得原因の如何により取得後一定の資格乃至喪失原因を異にする場合あり、国籍法第十六條、同第十九條)に影響を及ぼす以上之が不安定を除去するためその取得原因を特定して即ち「日本人の養子となつたことに因り現在日本の国籍を有すること」の確認を求め以て国籍法上の地位を確定する法律上の利益あるものと謂わねばならぬ。しかし原告は更に「国籍回復の許可に因るものでない」との趣旨を附加し釈明として「その国籍が国籍回復の許可に因るものでないとの観念は「その国籍が右養子縁組に因るものである」と云う観念の不可離の属性であつて、後者は前者を離れて絶対に存し得ないものであるから請求の趣旨記載の判決と「原告が日本人の養子となつたことに因り日本の国籍を有する旨」の判決とは実質上毫も異なることなく、前者は後者よりもその観念を一層平明に表裏両面から表示しているに過ぎないと主張する。若し原告が嘗ての国籍回復の許可が無効であつた結果として「現在日本国籍を有しない」との消極的確認を求めるのならば格別却つて他の原因即ち日本人の養子となつたことに因る国籍関係の積極的確認を求めていることは原告の主張する所である以上、それは明に現在有する国籍関係とは直接の関聯性のない別個独立の過去の法律関係(国籍回復許可の無効であつたこと)の確認を求めているものと解するの外なく、現国籍の態様の他の一面を表明しているに過ぎないとの主張は聊が牽強附会の論たるを免れない。従つてこの部分に関する請求は(独立の申立と解し)権利保護の利益を欠くものとして棄却さるべきである。
第二、仍て原告の本訴請求中前者につき本案の判断をする要を見るのであるが、若し原告が日本人の養子となる以前に既に国籍回復の許可その他の原因に因り日本の国籍を取得し、引続き之を保有していたとすれば原告はその後の養子縁組に因り新に日本国籍を取得する謂われないのであるから、先ずこの点から審究するのが順序である。
而して前掲事実摘示の原告主張事実中原告がその主張のような事情で自由意思に基かないで或は強迫によつて国籍回復の許可申請をしたとの点を除き、その余の事実は凡べて当事者間に爭のない所である。次に右回復許可の申請が果して全然自由意思に基かないでなされたものかどうかを審究するに成立に爭のない甲第一号証、第二号証の二、第四号証の二及び証人原佐市の証言によつてその成立を認むべき甲第四号証の一と右原佐市の証言並原告本人訊問の結果を綜合すれば、原告は亜米利加合衆国で生れ、日本の国籍を離脱した日系米国人であつたが、祖母に当る高田スミに件われて渡日し横浜市伊勢佐木警察署に外国人として登録し、同市在の同人経営ホテルの営業に従事していた者であるが、今次太平洋戦爭勃発するや米国籍を有する敵性人であつたのと短波ラヂヤ受信機を所持していたとの理由で同署に留置せられること二ケ月、その間留置場の不潔と取扱の残酷のため痛く健康を害し、且つは七十余才の老祖母と妻子を残して不安遣る方なく恐怖と不衛生の連続で心身の苦痛に堪えず心ならずも官権の強圧に屈服して日本の国籍を回復することを條件として漸く釈放されたところ、その後も〓々その手続方を督促せられたので若し応じなければ再びより以上の憂目を見んとの恐怖のあまり、遂に昭和十七年七月三十日その申請手続に及んだ経緯を認めることができる。
而して右認定のように釈放と申請との間には相当の日時を経過しているとは云うものの、單に一私人から強要せられたのとは事かわり、当時の情勢下にあつて強烈なる官権の威圧により国籍の回復を條件として釈放された以上その後の督促に対して若し応じなければ必然再び拘禁せられ一層の憂目を見るべしと信ずるのは相当であるから、右認定のような事情の下においてはその申請がたとい拘禁中のものでなくても、殆んど抗拒することのできない威迫に因つて唯だ形式的にのみなされた行為と観るべく單なる瑕疵のある意思表示と云わんよりは寧ろ全く意思の自由を抑圧された無効の行為と断じ得る。而して回復に因る国籍の取得は私人の申請と之に対する国家の許可なる公法上の双方行為によつてその効力を生ずるものであるから、前者が絶体無効である以上回復の許可もその効力を生ずるに由なきものと謂わねばならぬ。
然らば他に特別の事情のない限り、その後同年十月五日原告が日本人たる高田スミ(前記祖母に当る)の養子となるまでは未だ日本の国籍を有していなかつたと認むべきであるから、右高田スミは原告を養子とするには当時内務大臣の許可を得てその届出をすべきであつたのであるが、前記のような事情でその許可も得ず、日本人として縁組の届出をしたものであることは原告の主張自体に徴し明である。しかし養子縁組の効力は養親の本国法によるべきところ、養子縁組の当然無効となる場合につき我が民法(当時の)第八百五十一條は制限的に列挙しているから、之に該当しない限りその他の要件、たとい能力的要件を欠く場合でも縁組は常にその効力を生ずるものと解するを相当とする。もとより戸籍吏は縁組が民法列挙の法條その他法令に違反するときは之を受理することを得ないが、受理された以上その縁組は有効に成立すると謂わねばならぬ。而して国籍取得の効果は縁組の身分効果として縁組の成立に因り発生するものであつて、前記許可は外国人を養子とする場合の特別要件に過ぎず、之に因り日本の国籍を附与するものでないから原告は右許可の有無に拘らず、右縁組の成立により当然日本の国籍を取得し、その現に保有する国籍は之に基因するものと謂うべきである。
仍て原告の本訴請求は主文第一項表示の限度で之を認容し、その余は棄却すべきものとなし訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二條、第九十五條を適用して主文のとおり判決する。